桐壺6 当時の結婚について
12歳で源氏の君は元服し、その日に左大臣の娘葵の上と結婚。葵は4
歳年下の源氏を夫というより弟みたいだと思っていました。
今回は当時の結婚について書きます。二人の結婚はいわば親同士が決めた結婚です。でも全てこうとは限りません。
当時は「一人の男に複数の女、そしてその中に正妻」でした。
男は意中の女に手紙を送ります。女は気に入らない相手なら返事をせず、気に入れば返事します。最初は女房(侍女)が返事していたようです。
何度か手紙をやりとりし、男は女の家に行きます。3日連続通えば結婚成立。その後も女の家に通い、子供も女の家で育てます。
しかし、互いの容貌や性格は結婚してから分かるのが実情。女房がわざといいうわさを流すのも当たり前。だから結婚してから「こんなはずじゃなかった」というケースもざらにあります。そのため、通いが多い人少ない人が出てきます。そうなると、通いが多い人が大事に見られます。また、子供が多い人も大事にされます。
そして、男が経済的に安定したら自分の家に女を迎えます。この人が正妻として扱われます。こんなケースが多かったようです。
また、親同士が決めて盛大に結婚祝いをした場合は通いの状態でも女は正妻として見られました。葵の上はそういった状態です。
それと、あくまで私の見解ですが...
当時はこうしないと、血筋が残せなかったと思います。
千年前の当時は医療も発達しておらず、死亡率が高かったのです。40歳で長寿の祝いをする時代でした。特に妊娠は母子共に危険にさらされていました。
なので、一夫一妻では家を残せない危険があったという現実があったから、こういう結婚の形だったと思われます。
とはいえ、女にすれば夫がほかの女の家に行くのは気分のいいものではなかったでしょうね。しかしヤキモチが過ぎるとかえって嫌われる。なかなか難しいものです。
次回から新しい章に入ります。